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東京地方裁判所 平成7年(ワ)25928号 判決

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は、原告の負担とする。

事実及び理由

第一  原告の請求

被告は、原告に対し、金七億〇五二〇万八一六八円及びこれに対する平成八年一月一七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  本件は、被告を通じて、株式等の現物取引、信用取引及び国債先物取引を行った原告が、被告の担当者がした勧誘行為には株式取引等に関する過当勧誘、適合性の原則違反等の違法があること等を理由として、被告に対し、民法七一五条に基づく損害賠償として、被告との右取引によって生じた損失相当額(売買差損と支払手数料等諸経費の合計額及び本訴提起に係る弁護士費用の合計七億円余)の支払を請求した事案である。

二  前提となる事実(争いのない事実及び証拠に照らし明白な事実)

1  当事者及び関係人

(一) 原告(旧商号・長崎ヤクルト販売株式会社、平成二年五月二八日、合併により現商号に変更。)は、生菌ヤクルト、牛乳、乳製品、果汁、清涼飲料水等の販売等を目的とする株式会社である。原告は、東京に本店を有する株式会社ヤクルト本社(以下「ヤクルト本社」という。)系列の販売会社であり、肩書地に本店を有している。

甲野一郎(以下「甲野」という。)は、昭和四六年五月、原告に入社し、同五一年一二月から経理課に勤務し、同五四年四月に経理課係長、同六〇年五月に経理課長代理、同六三年四月に経理課長を順次務め、平成三年一月に原告を退職した。甲野は、原告と被告間の本件取引における原告側の担当者であった。

(二) 被告は、有価証券の売買及びその取次等を業とする証券会社であり、東京都に本店を有し、長崎市に支店を置いている。

甲山春夫(以下「甲山」という。)は、昭和五九年二月から同六二年七月まで、被告長崎支店に勤務し(当初は法人担当課長、同六一年四月から支店次長)、同六一年四月から右勤務期間中、原告に対する営業を担当していた者である。

乙田太郎(以下「乙田」という。)は、昭和五二年四月、被告に入社し、同六二年七月から平成二年五月まで、被告長崎支店に法人担当課長代理として勤務し、右期間中、甲山の後任として原告に対する営業を担当した。

2  原告と被告との取引

(一) 原告は、昭和六一年四月一六日、被告(長崎支店扱い)に原告の総合取引口座及び保護預かり口座を開設して、被告との取引を開始し、転換社債の買付等を行った。

また、原告は、昭和六二年三月二日、被告に国債先物取引口座を、同年五月二四日には外国証券取引口座を順次開設し、更に、昭和六三年七月二〇日以降は、原告名義の株式の信用取引が開始された(なお、原告から被告に対して、信用取引口座設定約諾書(以下「信用取引約諾書」という。)が差し入れられたのは、同年九月になってからである。その経緯については後に認定する。)。

(二) このような経緯でされた原告と被告との本件取引の具体的内容は、別表(一)「取引一覧表(1)(現金取引)」及び別表(二)「同(2)(信用取引)」〈略〉のとおりである。

(1) これを要約すると、原告と被告との最初の取引は、昭和六一年四月一六日の日本電気の転換社債一〇〇万円の購入であり、甲山が担当していた期間中、原告は、政府保証公営企業債の現先取引、国債先物取引、投資信託の購入を行った。

(2) 昭和六二年七月、甲山が転勤となり、乙田が代わって担当となった。

原告は、昭和六三年三月以降、中期国債ファンドの購入、政府保証公営企業債の現先取引、投資信託の購入等を行ったが、昭和六三年五月二四日、佐世保重工株五万株を現物取引で買い付け、株式の現物取引を開始した。

更に、原告名義で、同年七月二〇日、トヨタ自動車株二万株が信用取引で買い付けられ、株式の信用取引が開始された。

(3) そして、原告は、乙田が被告長崎支店に在職していた平成二年五月までの間、継続して、大量の株式の現物取引、信用取引及び国債先物取引を行った。

三  当事者の主張

1  原告

(一) 本件取引の実態

(1) 甲山を介しての取引

甲野は、原告の経理担当者として、毎月、取引先への支払等に充てるまでの一〇日ないし二週間という短い期間、商品の売上代金の管理を任されていた。

甲野は、格別の投資経験を有する者ではなく、また、右のような資金の性格から、甲山に対し、安全な方法によって資金運用する意思を明確に伝えていた。そこで、甲山は、利益が確定した取引であると説明して、昭和六一年四月から、日本電気の転換社債の購入、政府保証公営企業債の現先取引、国債先物取引、投資信託の購入等を勧め、甲野は甲山に勧められるままに右取引を行った。甲山は、転換社債、国債先物取引及び投資信託についても、債券の現先取引と同様、利益が確定したものとして勧誘を行った。

(2) 乙田を介しての当初の取引

昭和六二年七月、甲山が転勤し、乙田が原告の担当者となったが、乙田も甲野が手持の資金を安全に運用する意思であることを引き継いでいたため、甲山と同様、当初は、利益が確定した安全な取引であると説明して、政府保証公営企業債の現先取引、国債先物取引、投資信託の購入等を勧誘していた。

(3) 株式現物取引及び株式信用取引開始の経緯

乙田は、昭和六三年五月二四日、現先取引と同様の利益の確定した取引であると虚偽を述べて、佐世保重工株五万株を購入させた。甲野は、従来の経緯からみて、これを利益の確定した取引であると誤信し、購入代金を送金してしまった。そして、乙田は、これをきっかけとして次々と株式の売買を行わせるようになっていった。

更に、乙田は、同年七月二〇日から、原告が被告に信用取引を委託していないのに、独断で原告名義の信用取引を開始した。

乙田は、信用取引開始後しばらくして、それまでの信用取引で損失を抱え不安に陥っていた甲野の心理を利用し、甲野をして信用取引約諾書に強引に記名押印をさせた。

(4) 担保の仮装

乙田は、平成元年三月以降、甲野に対して原告名義の小切手を次々に振り出させ、これを信用取引の保証金に充てて、信用取引の担保を仮装させた。この方法によって、大規模の信用取引が可能となり、乙田は信用取引を拡大していったのである。

その後、被告内部でも右のような方法による担保提供が問題となり、被告は、小切手による保証金差入れの中止を申し入れ、担保として、小切手の代わりに原告が所持していた株式を強引に提供させた。

(5) 本件取引の発覚及び損害填補の合意の成立と破棄

本件取引は、乙田が転勤となった平成二年五月まで継続した。その間、原告側では甲野のみが具体的取引に関与し、他の者は甲野がこのような取引を行っていることを認識していなかった。乙田が転勤の挨拶に原告の当時の代表者(山下恒太郎)を訪れたことによって、はじめて取引の実態が明らかになったのである。

その後、原告と被告との間で、本件取引により生じた損害の清算について、数度の交渉がもたれたが、最終的には、被告が自己の責任を認め、平成二年一一月二一日、〈1〉原告と被告との間に過去に存在した異常な取引について、被告は原告に謝罪し、原告は右謝罪を承服する、〈2〉過去に存在した種々の経緯についての被告の説明を原告は了承する、〈3〉原告において過去に存在した不幸な出来事について、被告は誠心誠意原告に協力する(その具体的意味は、被告は原告に対し、原告が投入した額の二割以上の利益を得ることのできる証券取引の機会を継続的に与え、原告に生じた損害を填補するというものである。)旨の合意が成立した。

しかし、被告は、原告に有利な証券取引を一度紹介しただけで、その後何ら取引を紹介することなく、このことに関して原告が抗議すると、前記合意を一方的に破棄した。

(二) 違法性

(1) 証券取引と投資家保護の必要性からくる証券会社の義務

証券会社は証券取引の制度や実務等証券取引に必要な情報を蓄積している専門業者である。これに対して顧客は、証券取引に関する専門的知識・経験に乏しく、証券会社との間には絶対的格差がある。

このような関係の下で、証券会社が不当な行為によって利益を得ることは顧客の利益を損なうとともに、健全な証券投資を妨げることになる。

そこで、証券取引法及びその関連諸法令は、投資者保護のために証券会社の投資勧誘及び業務遂行を規制しており、被告は、これら証券取引関連諸法令を遵守すべき義務を顧客との関係においても負担している。

(2) 信用取引に関する適合性の原則違反

ア 証券会社は、顧客に対する投資勧誘に際しては、投資者の意向、投資経験、資力等に最も適合した投資が行われるよう十分配慮し、適合する取引にのみ顧客を勧誘すべき注意義務を負うものというべきである(適合性の原則)。

この原則は、昭和四九年一二月二日蔵証第二二一一号大蔵省証券局長通達「投資者本意の営業姿勢の徹底について」(以下「本件通達」という。)において既に具体化されていた。なお、右内容は、平成四年の証券取引法改正において、五四条一項一号等に明文で規定された。

そして、信用取引の場合は、現物取引と比較して、手数料額の割合が大きくなることや、資金調達用の利息が必要となるとともに、決済までの期間が限定されるため、損失が拡大する危険が極めて大きく、反面、この取引に関する適合性の範囲は著しく狭いものであって、資金と現物取引の経験があるからといって、それだけで、信用取引を開始させてよいとはいえない。

本件通達において、この適合性の原則を維持するため、証券会社はそれぞれ取引開始基準を作成するものと定められていたが、右に基づき作成された被告の信用取引開始基準は、極めて不十分なものであり、被告においては、適合性の原則を保障するに足りる信用取引開始基準等は存在しないも同然であった。

イ 原告の前記営業内容、売上入金後諸支払までの期間の資金運用を目的とするという運用資金の性格、年商約一六億円という原告会社の規模、甲野の投資経験の乏しさからみて、乙田が甲野を信用取引に勧誘し、更に、年間二〇〇億円を超える取引を行わせたことは、適合性の原則に反するものであり、違法というべきである。

(3) 担保を仮装した信用取引

信用取引においては、資金の少ない投資家が過大な取引をすることを抑制するため、委託保証金の制度が設けられている(証券取引法四九条参照)。

本件のように、資金の裏付けのない小切手を振出させ、見せかけの保証金として差し入れさせて信用取引を行うことは、右法令に違反するものであり、違法である。

(4) 原告の意思に基づかない信用取引

信用取引においては、顧客の意思確認をより確実にする必要から、顧客は、約諾書を提出しなければならないものとされている。

本件では、昭和六三年七月二〇日から同年九月六日までの間、信用取引約諾書が提出されないまま、原告名義の信用取引が行われているから、その間の信用取引は、原告の意思に基づかないものであって、無効である。

(5) 現物取引を含む本件取引全体の過当取引

証券取引においては、投資者の能力、資金の性格等を無視した過当勧誘を行うことが禁止されている(本件通達及び公正慣習規則九条三項二〇号参照)。

本件において、乙田は、昭和六三年一〇月二〇日から同月二七日までの間に同一銘柄の株式を合計七回も売買している等、顧客の利益よりも手数料稼ぎに主眼のある過当勧誘を多数行っている。右のような取引は、前記法令に照らし違法である。

(三) 原告の損害

(1) 原告の被った損害は、次のとおりである。

ア 実損害

原告の昭和六三年五月二四日以降の株式現物取引、昭和六三年六月一日以降の国債先物取引及び昭和六三年七月二〇日以降の株式信用取引による売買差損と支払手数料等諸経費の合計金額は、別表(三)「損害一覧表」〈略〉のとおり、合計六億八五二〇万八一八六円のマイナスとなった。

イ 弁護士費用

本件の弁護士費用としては、二〇〇〇万円が相当である。

(2) そうすると、原告の被った損害は、合計七億〇五二〇万八一八六円となる。

そこで、原告は、民法七一五条に基づき、被告に対し、右金額及びこれに対する不法行為の日の後である平成八年一月一七日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

2  被告

原告の主張は、いずれも争う。

(一) 本件取引の経緯

(1) 甲山を介しての取引

本件取引は、甲山が原告の経理担当者である甲野を訪れ、証券売買取引を行うことを打診したことに始まる。

甲山が担当した期間(昭和六一年四月から同六二年七月まで)においては、日本電気の転換社債、公債による現先取引、国債先物取引、投資信託の購入が行われた程度であったが、これは、甲山の担当期間が一年間にとどまり、この間、甲山が甲野に対してそれ以上の取引拡大を打診せず、甲野も慎重な経理担当者として原告が新規に取引を開始した証券会社と最初から広範囲の取引を行うことをしないで推移したことによるものに過ぎない。また、甲山は、公債による現先取引以外の取引について、利益が確定した取引であるとは説明したことはない。

(2) 株式現物取引の経緯

被告の原告担当が、乙田に代わった後の昭和六三年五月頃、乙田は甲野に株式の現物取引を打診した。その際、乙田は、低位株であるから値下がりしても損失が少ないものとして佐世保重工株の買付を提案し、甲野もこれを承諾したものである。

その後も、原告は株式の現物取引を継続的に行っているが、乙田は、各取引の都度、甲野の承認を得て株式の買付及び売付を実行した。

(3) 株式信用取引の経緯

乙田は、昭和六三年七月、甲野に対して信用取引による株式売買取引を勧誘した。その際、乙田は、被告長崎支店の乙川秋男支店長(以下「乙川支店長」という。)とともに、原告会社事務所を訪問し、甲野に対して被告作成の信用取引に関する説明パンフレットを交付した上、信用取引の仕組み、方法等について詳細に説明して、承諾を得た上で、同月二〇日から信用取引が開始された。

信用取引開始後、しばらくの間、甲野から、原告の信用取引約諾書が提出されなかった経緯があるが、これは、甲野が提出を約していたにもかかわらず、これを失念していたものに過ぎず、乙田から問い合わせをした直後に、甲野は、代表者印を記名押印の上、右書類を被告に提出している。

株式の各信用取引においても、乙田は、株式の買付及び売付につき、常に甲野の承認を得て実行した。

(4) 小切手による信用取引保証金の差入れの経緯

平成元年三月以降、原告振出しの小切手が信用取引保証金として被告に差し入れられたことは事実であるが、これは、甲野の方からそのような方法をとりたい旨の申入れがあってされたものであって、乙田が求めたものではない。しかし、この方法によっては、原告から現金の預託がないことになるから是正措置をとるよう被告の内部監査で指摘されたため、乙川支店長が甲野を訪問してその旨の申入れをしたところ、甲野は、これを承諾し、原告が保有していた株券等を新たに委託保証金代用証券として被告に預託している。

(5) 本件取引後の合意の趣旨

原告から被告に対し、平成二年六月頃、本件取引に不当な点がある等の申入れがされたが、被告は、問題とされる点はないと反論した。

その後、原告と被告は、数度の交渉を経た後、平成二年一一月二一日、〈1〉原告は、被告に対し本件信用取引に伴う損失金を被告に支払う債務を負担していることを認める、〈2〉被告は、原告に対し右債務の弁済を一時猶予し、当面は原告の指示、承認のもとに原告の差し入れた担保有価証券を売却し、その売得金を右債務に充当する、との合意が成立したものであって、被告が本件取引に不当な点があったことを認めたことはない。

(二) 違法行為の不存在

(1) 信用取引の適合性の原則違反の主張について

原告は、昭和六一年当時、資本金四一四四万円、総資産約一二億円、年商約一六億円の乳製品販売事業を営む会社であり、被告と取引を開始する前に、既に他の大手証券会社と取引関係を有していた。また、信用取引の開始に際しては、現金一〇四四万円のほか、時価総額約二億円の株券、転換社債等を差し入れており、被告が定める信用取引開始基準を十分満たしていた。

また、甲野は、一五年間にわたり原告の経理・資金業務に携わり、右業務に精通していただけでなく、個人的にも証券取引の経験があり、証券取引に関する知識も十分有していた。

以上のとおり、原告は、会社及び担当者いずれの取引経験、資産、職務経験等の点からみて、信用取引に関して十分適合性を有していたというべきである。

(2) 担保を仮装した信用取引の主張について

原告は、資金の裏付けのない小切手を見せかけの保証金として差し入れて信用取引を行うことは、委託保証金の制度を設けている証券取引法四九条に違反すると主張する。

しかし、右の方法による保証金の差入れは、乙田の働きかけによるものでなく、むしろ甲野の方から、申入れてきたものであって、この点に関して、乙田の行為に違法行為があるということはできない。

(3) 原告の意思に基づかない信用取引の主張について

原告からの信用取引約諾書の提出が遅れたのは、前記のとおり甲野がその提出を失念していたからに過ぎない。原告として信用取引を開始することについて、甲野は十分了解していたし、右信用取引約諾書の提出がなかった期間においても、乙田は、甲野の承認を得て信用取引を行っていた。したがって、原告の主張は、理由がない。

(4) 本件取引全体の過当取引の主張について

本件取引は、常に甲野の承認を得て行われたものである。本件取引は、投資判断につき十分な能力を有する甲野の意思に基づいて行われており、過当売買ではない。

(三) 原告の損害の主張は争う。

第三  当裁判所の判断

一  原告及び甲野の投資経験、資産状況等について

〈証拠略〉及び弁論の全趣旨によれば、更に、次の事実を認めることができる。

1  原告の本件取引が開始された昭和六一年当時の資本金は四一四四万円、総資産は約一二億円(平成二年三月当時は約二四億円)、年商は約一五億円であった。また、原告の経常利益は、昭和六〇年度(四月一日から翌年三月三一日まで)は約六八〇〇万円、同六一年度は約三五〇〇万円、同六二年度は約六七〇〇万円、同六三年度は約五〇〇〇万円であった。

また、原告は、被告と取引を開始した当時、既に野村・日興・大和等他の大手証券会社と取引関係を有し、現先取引、ヤクルト本社、親和銀行、全日空、長崎新聞社、東新産業等の各株式の売買のほか、転換社債、外債等の有価証券の売買を行っていた。

2  前記のとおりの経歴を有する甲野は、経理課に勤務した昭和五一年一二月以降、一五年間にわたり、一貫して原告の経理・資金業務に携わっており、被告との本件取引開始当時においては、原告代表者(当時)である山下嘉一は、高齢のためほとんど出勤せず、また、直属の上司の専務取締役(当時、現代表者)である山下恒太郎は、ヤクルト本社九州支店の副支店長を兼務していたため、原告会社には常勤しないという状況の下で、原告の実印その他印鑑類、保有株券等有価証券、手形小切手帳などを収納する金庫の鍵を管理し、資金運用のために何回も行った現先取引などは、上司の決裁を受けることなく自ら実行していた。

このように、甲野は、原告の経理、資金関係業務全般の処理を実質上単独で担当していたものであり、前記の各証券会社との各種取引を処理するほか、長崎市内の多数の銀行とも取引関係を持ち、取引銀行の営業成績を向上させることに協力するため、取引銀行の依頼により、原告会社が自己名義で多額の小切手を振り出し、その支払銀行における当該小切手決済期日における当座預金残高を充足させるため、他の取引銀行から当該支払銀行に決済資金を送金させることにより取引銀行の預金残高を多額に維持する(これを各取引銀行の求めに応じて相互に繰り返させる。)事務処理(これをドレッシングという。)を日常的に行ってきた。

更に、甲野は個人でも数社の株式を保持していた。

二  本件取引の経緯について

〈証拠略〉及び弁論の全趣旨によれば、本件取引の経緯は、以下のとおり認められる。

1  甲山担当時代

(一) 甲山は、昭和六一年四月、被告の営業活動の一環として原告を訪問し、原告の経理担当者であった甲野と面談し、原告として証券売買取引を行うことを勧誘した。これに対し、甲野は、当面は売上入金後諸支払までの期間の資金運用と余裕資金の投資運用を行うことを考えてもよいと応じ、甲山が紹介した複数の商品の中から日本電気の転換社債一〇〇万円分を購入することにした。そこで、甲野は、同月一六日、自らが保管していた取引印等を用いて原告代表取締役山下嘉一名義の総合取引申込書、取引口座開設(保護預り口座設定)申込書及び取引印鑑届を作成し、被告に差し入れるとともに、同日、右転換社債の買付指示をし、同月二一日、右買付代金一〇〇万円を被告長崎支店に開設した原告の取引口座に振り込んだ。

(二) 同年一〇月、甲山が原告を訪問した際、甲野は、資金運用のため現先取引を行いたいと申入れ、同月一三日スタート、同月三一日エンドの約定で、政府保証公営企業債を用いた現先取引(約二〇〇〇万円分)を行い、同日、原告の銀行預金口座に売却代金の振込を受けた。

(三) また、甲山は、昭和六二年三月頃、甲野に対し、国債先物取引を行うことを提案し、甲野は、右取引を行うことを承諾した。その際、甲山は、右先物取引の仕組み、方法につき、リスク負担があることを含め説明した。甲野は、同月二日、被告に対し、原告代表取締役山下嘉一名義の国債先物取引口座設定約諾書を作成して提出し、同月四日、先物証拠金として二〇〇〇万円を被告の原告取引口座に振り込んだ(この国債先物取引は、以後平成二年五月まで継続的に行われた。)。

(四) 更に、甲野は、甲山の勧めに従い、昭和六二年四月一五日、投資信託(エース八七-〇四株式ファミリー、一〇〇万円)を購入し、また、昭和六二年六月二五日には、国債先物取引の証拠金として五〇〇万円を被告の原告取引口座に振り込んでいる。

2  乙田担当時代

(一) 昭和六二年七月、甲山が転勤となり、担当者が乙田に交代した。

甲野は、引継ぎを受けた乙田の勧めにより、昭和六三年三月三〇日から同年五月二三日までの間、中期国債ファンド(合計七〇〇万円)の購入、政府保証公営企業債を用いた現先取引(約二〇〇〇万円)、投資信託(エース八八-〇五株式ファミリー、二〇〇万円)の購入、国債先物取引などを行った。

(二) 株式現物取引の開始

(1) 乙田は、乙川支店長の示唆を受けて、昭和六三年五月、甲野に株式取引の勧誘を行った。

甲野は、乙田の勧誘に対し、当初は、消極的な態度を示していたが、乙田が甲野のもとに頻繁に訪問し、数銘柄について株価の予想を行ったところ、いずれも予想どおりの結果となったことから、株式取引に興味を示すようになった。

そして、乙田が、値下がりしても損失の少ない低位株であるとして佐世保重工株を勧めると、甲野は、同月二四日、二〇〇〇万円以内での右株式購入に同意し、五万株(買付代金一六九〇万六一六八円)を購入指示し、同月二七日、右株式の購入代金と同月二三日に購入した割引農林債の代金(四八〇七万九〇〇〇円)とを合わせて支払うため、既存の中期国債ファンド七〇〇万円を解約してこれに充当した上、差額の五七九八万五一六八円を被告の原告取引口座に振り込んだ。

(2) その後も乙田は、甲野に対し継続的に取引を勧め、同人の承認のもとに、次のとおり株式の現物取引を行った。

ア 同年五月三〇日

三菱製鋼株五〇〇〇株の日計り取引(買付一〇〇八万七五〇〇円、売付一〇一〇万四六二五円)

イ 同年六月一日

富士電機株四万株を買付け(二九八〇万五一〇〇円)

ウ 同月四日

佐世保重工株(一七一七万二四〇〇円)と富士電機株(三〇〇六万三三二〇円)を売却

同日

コスモ石油株三万株を買付け(二七八五万三四六〇円)

エ 同月六日

コスモ石油株二万株を買付け(一八〇三万四九〇〇円)

オ 同月七日

コスモ石油株二万株を買付け(一八二三万一〇七〇円)

同日

コスモ石油株七万株の日計り売買

(3) これらの株式の現物取引において、甲野は、乙田の説明のとおり各買付の都度、指定された買付代金を被告の原告取引口座に入金した。

(三) 株式信用取引の開始

(1) 乙田は、昭和六三年七月頃、甲野に対し、原告として株式信用取引を行うよう勧誘することとした。

そこで、同月一九日、乙川支店長と乙田が原告会社を訪問し、甲野に対し、信用取引に関する被告のパンフレット及び信用口座約諾書のコピーを手渡した上、信用取引の仕組みやリスクについての説明を行った。

被告においては、内部準則として、「顧客管理に関する規定」が制定されており、同規定は、信用取引開始基準(この基準に該当しない顧客からは信用取引を受託することができない。)として、〈1〉当該顧客に株式投資経験があること、〈2〉当該顧客から信用取引保証金として預託を受ける資産が、付則に定める金額(付則五条に五〇〇万円と規定)以上であること、〈3〉その他、当社が必要と認める措置と定めていた。

(2) 甲野は、乙川支店長及び乙田の説明を了解の上、同日、信用取引口座開設に同意し、原告として保有していたヤクルト本社、コスモ石油の株式のほか、日本電気、住友信託銀行、ジャスコ及びロイヤルの各転換社債、割引農林債を信用取引の保証金代用証券として被告に預託し、更に、同月二二日、委託保証金として現金一〇四四万円を被告の原告取引口座に振り込んだ。

(3) 乙川支店長は、前記の信用取引開始基準の要件を満たすものと判断して、原告が信用取引を行うことを承認し、乙田は、同月二〇日、原告のためトヨタ自動車株二万株を信用取引で買い付け、原告としての株式の信用取引を開始した。

(4) 乙田は、右の信用取引開始に先立って、甲野に対し、所定の信用取引口座設定約諾書の書式に原告代表者の記名押印を施した上、被告会社に郵送するよう依頼していた。

乙田は、原告から右の約諾書が遅滞なく返送されたものと認識していたが、甲野からはその返送がされていなかった。被告(長崎支店)の総務課から右の点を指摘された乙田は、同年九月、甲野に対し、右約諾書の提出が遅れていることを指摘したところ、甲野は、右の提出を失念していたことを謝罪し、直ちに原告代表取締役山下嘉一名のゴム印及び届出印が押印された約諾書を被告宛に郵送した。被告(同)の総務課職員は、郵送されてきた約諾書の日付が空白となっていたので、原告の信用取引の開始日として昭和六三年七月二一日の日付を記入した。

(四) 原告振出小切手による担保差入れが行われた状況

(1) 甲野は、平成元年三月から同年七月まで、本件の信用取引の保証金として、原告振出しの高額の小切手(額面数億円、一時的には一九億円にも達した。乙七五号証参照)を差し入れ、連続してこれを差し替えるようになった。

これは、甲野が前記のようなドレッシングとして、原告の取引銀行の営業成績を上げることに協力するためと説明して乙田に申し入れて行ったものである。

このような方式で信用取引保証金が差し入れられた関係で、原告の取引口座における委託保証金の預託額が高額となるので、大量の建玉による信用取引を行うことが可能となり、その結果、原告は、平成元年四月の電気化学工業株六七万株の売買で差引約六六〇万円の利益を計上し、また、信越化学株六一万株の売買で約七五〇〇万円の利益を計上することになった。

(2) しかし、この方式は、小切手の差替えが連続して行われることにより、原告の取引口座における委託保証金の預託額が帳簿上確保されるが、現金の預託がされていないことになる。

そのため、平成元年七月に行われた被告の内部監査で右の点の指摘がされ、小切手による保証金の差入れをとりやめてこれを是正すべき旨の指示がされたので、乙川支店長は同月末に甲野を訪問し、右の趣旨を説明して是正方を要請した。

(3) 甲野は、右の要請に応諾し、同月二六日、三共株、武田薬品株、三菱重工株の各建玉を決済し、川崎製鉄株を現引し、これらの信用損金、現引代金支払のための資金として五〇〇〇万円を原告取引口座に入金し、また、現物保有の京セラ株を売却し、新たな担保として、現引した川崎製鉄株一万二〇〇〇株を委託保証金代用証券として預託したほか、同月二八日、原告が現物で保有していた全日空株一万六〇〇〇株及び親和銀行株三万株を新たに委託保証金代用証券として被告に預託した。

甲野は、更に、同年九月には、被告に対し、ヤクルト本社株四〇〇〇株、親和銀行株二万株、全日空株二〇〇〇株を新たに委託保証金代用証券として預託している。

(五) 原告との証券売買取引の状況

(1) 原告の被告を介しての証券売買取引は、現物取引、信用取引のいずれにおいても、乙田が電話ないし面談して甲野に対して銘柄をあげて買付ないし売付の提案を行い、甲野がこれに承認を与えるという方法によって行われた。

(2) また、乙川支店長は、一か月に一度程度の割合で乙田と共にないし単独で原告を訪問して甲野と面談し、取引に関する打ち合わせを行った。

(3) 更に、被告からは、本件取引の継続中、原告に対し、売買取引の都度売買報告書を送付するほか、月に二度、月次報告書(現物取引、信用取引等の各売買取引の日付、数量、価格、信用取引担保のために預託を受けている現金、有価証券の各明細が記載されている。)が送付されているが、甲野は、右月次報告書に対し、昭和六三年一二月から平成元年六月までは、報告内容に異議のない旨の原告代表者名義の回答書を送付し、また、それ以外の期間においても右につき異議を述べることはなかった。

(4) また、本件取引においては、売買に伴う受渡代金、信用取引による損益金等現金の授受は、原告の指定する銀行預金口座を通した振替送金の手続によって行われており、取引継続中、多数回にわたる多額の金員の入出金は、遅滞を生ずることなく、円滑に行われた(その具体的内容は、別表(四)「現金入出金一覧表」〈略〉のとおりである。)。

3  本件取引に関する紛争の経緯

(一) その後も、原告は、被告を介しての証券取引を継続していたが、平成元年一一月に信用取引によって購入した東急電鉄株(買付合計株二一万株、内五万株は同月二二日現引)が値下がりをし、平成二年四月二〇日に一〇〇〇株を現引をし、更に同年五月の決済期日に同株の残建玉を反対売買によって決済した結果、約二億三〇〇〇万円の損失が発生した。

甲野は、乙田と損失処理につき相談の上、原告が保有していた現物株式、転換社債を売却してその売得金を右損失に充当するほか、不足金につき原告取引口座に現金合計四三九八万六一七五円を振込送金した。

(二) 乙田は、更に、右損失を埋める目的で、甲野と協議の上、銭高組、日本重化学、いすず自動車及び任天堂の各株式を信用取引で購入したが、乙田は、同月末、被告東京本社に転勤となった。

(三) 平成二年六月始め頃、原告の代表者から、被告側に対し、被告との本件証券取引は、甲野が原告代表者に無断で行ったものである、取引の方法に不当な点があるなどとして、説明要求がされた。

被告は、同月一二日、乙田のほか、乙川前支店長(当時)及び丙原三郎現支店長が原告会社を訪問して、本件取引の経緯についての説明を行った。その際、甲野は、本件取引に関し、甲野から株式売買の指図はしておらず、乙田から事後報告があっただけであると主張したのに対し、乙田は、全て甲野の承認を得ていると反論したので、当日の会談は物別れに終わった。

その後、平成二年九月から同年一〇月頃までの間、ヤクルト本社や被告本社の担当者も交え、原告被告双方の弁護士を介して何回か話合いがされたが、信用取引に伴う立替金残額の決済を求める被告と本件取引の不当性を主張し、その賠償を求める原告との間で、合意には至らなかった。

(四) 同年一一月始めころ、ヤクルト本社の経営企画課長で本件処理を委ねられていた丙木夏夫が、被告本社の丁野冬男西部地区長及び丁山五郎営業本部長と接触し、原告としては、既にされた信用取引の建玉(銭高組、日本重化学、任天堂)を全て決済すること、被告に差し入れてある委託保証金代用証券(ただし、右代用証券のうち、ヤクルト本社、親和銀行、全日空の各株式は売却しない。)を処分することによって被告の立替金残額を決済することはやむを得ないが、被告本社の社員が原告代表者と会談し、その面前で、被告が原告に対し今後利益の見込める取引を紹介するなどして取引を誠心誠意実行する趣旨を表明することで合意するよう要請し、翌八日、丁山に対し、原告側で作成した合意書の案(乙七二号証)をファックスで送信してきた。しかし、右文書には、被告は、原告被告間の過去に存在した異常な取引について原告に謝罪し、原告はこれを受け入れること、過去の取引の経緯について被告のした説明を原告は了承すること、被告は、誠心誠意、原告に生じた不幸な出来事を解消するものとし、その具体的な方法について双方誠実に協議すること、との条項が含まれていたので、丁山は、丙木に対し、右内容では、到底合意書を作成することはできない旨を伝達した。

その後も、丙木と丁山らとの間で何回か打ち合わせが行われ、被告側の者が原告代表者と面会することは了承するが、それは、既にされた取引について、被告が謝罪する趣旨のものではないこと、被告は、今後、原告に対して、誠心誠意利益の見込める商品を紹介することに努力するが、利益額や時期を特定して保証するものでないことが了解された。

そして、同月二一日、右打ち合わせに基づいて、ヤクルト本社において原告代表者らと丁山及び丁野との面談が行われた。右面談の冒頭、丁野から、原告代表者に対し、これまでの取引につき感謝の意が述べられ、今回お互い弁護士を通じて意見を述べ合うという不幸な出来事を生じたことは残念であったこと、今後は、相互関係を回復し、より友好的な取引を継続し、被告としても誠心誠意原告のため努力していく所存である旨の意思表明がされ、その後の話し合いで、原告は建玉決済に伴う被告の立替金の弁済に充てるため、被告に預託している委託保証金代用証券の売却を承諾すること、ただし、右のうち、ヤクルト本社(七万二〇〇〇株)、親和銀行(五万株)及び全日空(一万八〇〇〇株)の各株式の処分はなるべく回避すること、右売却に当たっては丙木が原告の窓口となること、被告は、今後利益の見込のある証券を原告に紹介することに努めることが、それぞれ了解された。

(五) そして、平成二年一一月二八日までに、信用取引による建玉の決済が全て終了し、被告の立替金の額は、二億四二五六万〇七八五円と確定した。

被告は、前記の了解に基づいて、平成二年一二月から平成五年三月までの間、前後一一回にわたり、個別に丙木の承認を得た上で、順次、委託保証金代用証券の売却等を行い(なお、被告は、その間、ヤクルト本社、親和銀行、全日空の各株式の売却を行わなかった。)、右売却による充当の結果、被告の立替金残金は九四〇六万二六九四円となった。また、右期間中、原告は、被告の行った有価証券の売却に関して異議がない旨の回答書をその都度送付している。

なお、被告は、平成三年四月、原告に対し、利益の見込のある取引としてTHK転換社債を紹介し、その結果、原告は約三〇〇〇万円の利益を得ることができたものの、その後の株式市場の低迷もあって、被告は、それ以降利益の見込める取引を原告に紹介するに至らなかった。

そのため、前記立替金残金九四〇六万二六九四円についてそれ以上の処理がされない状態が継続したが、被告は、平成七年七月一一日、被告の前記立替金残金について原告に弁済を催告し、原告がこれに応じなかったため、同月二四日、全日空株一万八〇〇〇株及びヤクルト本社株六万一〇〇〇株を売却の上、右立替金残金に充当して最終的な処理を完了した。

その結果、現在、原告の取引口座には、充当後の残金二六万九七九五円、ヤクルト本社株一万一〇〇〇株、親和銀行株五万株が預託されている。

4  以上の認定事実と異なる原告の主張事実について

(一) 以上のとおり認めることができるところ、原告は、前記のとおりこれと異なる事実関係を主張し、証人甲野一郎(同人の陳述書である甲一一号証も同旨である。これらを一括して、以下「甲野供述」という。)及び証人丙木夏夫(同人の陳述書である甲一三号証も同旨である。これらを一括して、以下「丙木供述」という。)は、それぞれ、これに沿うがごとくである。

しかし、原告主張の事実のうち前記認定に反する点については、以下のとおり、いずれもこれを認めることが困難であり、右の点に関する甲野供述及び丙木供述は、採用することができない。すなわち、

(二) 原告は、本件取引の当初の段階における転換社債、国債先物取引、投資信託等の取引について、甲山及び乙田が甲野に対し、利益の確定した取引であると説明して勧誘したと主張するが、これらの取引は現先取引とは異なり、元本が保証された取引でないことは明らかであって、右各取引について甲山及び乙田がこのように虚偽であることの明白な説明をしたとすることは不自然である。右主張に沿う甲野供述は、採用できない。

(三) 次に、原告は、乙田は、甲野に対し、現先取引と同様の利益の確定した取引であると虚偽を述べて、現物取引として佐世保重工株五万株を購入させたと主張する。

しかし、現先取引は、債券を購入する際に、これを売り戻す一定期日及び売戻価格を確定的に約定し、これらの合意を記載した契約書を作成した上で行う取引であるところ、株式の現物取引がこれと同種の取引であるということはあり得ず、このことは、前記のとおり従来株式取引に関与した経験を有する甲野としては当然認識できたものというべきであるから、右主張に沿う甲野供述は、不自然というほかなく、証人乙田太郎の証言と対比して、到底採用することができない。

(四) 原告は、被告が、原告との間で信用取引受託契約を締結していないのに、乙田が甲野に無断で原告名義の信用取引を行った上、信用取引で損失を抱え不安に陥っていた甲野の心理を利用して、後日になってから信用取引約諾書に強引に記名押印させたと主張する。

しかしながら、前記のとおり、原告名義の信用取引がされるに際し、原告が被告に預託していた転換社債、株式等が信用取引の保証金代用証券として被告に差し入れられているだけでなく、これに加え、甲野の手によって一〇四四万円が委託保証金として被告の原告取引口座に現実に送金されているのであり、これらの取引が甲野に無断でされたとはたやすく想定できないものというべきである。右主張に沿う甲野供述は、採用できない。

(五) 原告は、乙田が、平成元年三月以降、甲野に原告名義の小切手を次々と振り出させ、これを信用取引の保証金に充てて、担保を仮装させ、大規模の信用取引を実行したと主張する。

しかしながら、甲野は、被告側が今後は小切手による保証金の差入れをやめるよう申入れたのに対して、前記のとおり、信用取引の建玉を決済し、現物で保有していた株式を新たに委託保証金代用証券として被告に預託する等しており、この点に関して甲野が何らかの異議を述べた形跡は認められない。右事実の経過からすると、原告主張に沿う甲野供述は、たやすく採用することができない。

(六) 原告は、原告が被告に本件取引の不当を訴え、交渉した結果、平成二年一一月二一日、被告は自己の責任を認め、原告被告間で原告に生じた損害を被告が原告に対して有利な証券取引を紹介することによって事実上填補する旨の合意が成立したと主張する。

しかしながら、乙七九号証(丁山五郎作成の経過報告書)、八〇号証、証人丁山五郎の証言はこれを明確に否定する上、これらとの対比において、右合意に沿うという文書(甲五号証)には被告側の署名を求めなかったが、被告はこれに同意していたという趣旨に帰する丙木供述は不自然な点があることを否定することはできず、ただちには採用することができない。

三  被告の不法行為責任について

以上の事実関係に基づいて原告の主張につき、順次検討を加える。

1  信用取引に関する適合性の原則違反

(一) 証券取引においては、証券の価格変動要因はきわめて複雑であって、その投資の判断には高度の分析と総合能力とを要するため、一般投資家は投資判断に当たっては専門家である証券会社の勧誘ないし助言指導に依存し、他方証券会社の営業成績の伸長もこのサービスの如何に係るところがいずれも大きく、したがって、証券会社の勧誘ないし助言指導が過熱することが避け難い傾向にあることから、このような立場にある投資家の保護を目的として、前記の本件通達は、証券会社に対し、投資者に対する投資勧誘に際しては、投資者の意向、投資経験及び資力等に最も適合した投資が行われるよう十分配慮すること、特に、証券投資に関する知識、経験が不十分な投資者及び資力の乏しい投資者に対する投資勧誘については、より一層慎重を期することを定めている(その内容は、平成四年の証券取引法改正により、新たに五四条一項にとりこまれた。)。特に、本件のような信用取引は、提供される担保の数倍の取引が可能となるので、現物取引と比較して多額の利益が得られる可能性がある反面、損失が多大となる危険性も大きい。

このような証券取引の特質や特殊性に鑑みると、証券会社が投資家に信用取引を勧誘するに当たり、投資勧誘の方法、態様が、投資家の投資目的、財産状態及び投資経験等に照らして社会通念上著しく不適合であり、その結果として、当該投資家に損害を及ぼした場合には、私法上違法の評価を受けることを否定することはできず、証券会社は、投資家に対して、不法行為責任を負うものというべきである。

しかしながら、信用取引は、それにつき適切な説明がされれば、投資家の自己責任原則に委ねられるべき経済取引であるから、信用取引の仕組みについて理解能力を欠き、仮に適切な説明がされても理解が困難な者に対して勧誘するような特別の場合を除き、証券会社に対し、信用取引を勧誘すること自体を回避すべき注意義務を広範囲に課すべきではないというべきである。

(二) そこで、本件において、乙田が原告(具体的には甲野)に対して行った信用取引の勧誘及び態様が、原告の投資目的、財産状態及び投資経験等に照らして著しく不適合であったか否かについて検討する。

(1) 前記認定事実のとおり、原告は、ヤクルト本社の系列会社であり、昭和六一年当時、資本金は四一四四万円、総資産は約一二億円、年商は約一五億円であり、また、昭和六〇年度ないし昭和六三年度は、いずれも数千万円の経常利益をあげていたことからみて、長崎の地元企業として経営的に安定した優良企業であったということができる。更に、原告は、被告との取引前においても大手証券会社相手に前記のような証券取引の経験を有していた。

また、原告の担当者甲野についても、前記のとおり、一五年間にわたり原告の経理・資金業務に携わり、常時、原告の資金管理全般を委ねられていたというのであるから、通常の社会人と比肩してまさるとも劣らない程度の判断能力ひいては投資能力を有していたということができる。

(2) そうすると、我が国の事業会社が有価証券投資に極めて積極的な時期であったという当時の経済状況の下、乙田が原告に対してその資金の有効活用の見地から信用取引を勧誘し、前記認定の内容の信用取引を行わせたことは、原告の投資目的(前記の認定事実からみて、原告の投資目的が売上入金後諸支払までの期間の資金運用に限定されていたと認めることはできない。)、財産状態や投資経験等に照らして著しく不適合であったということはできず、したがって、信用取引における適合性の原則に反するものということはできないものというべきである。

なお、原告は、被告の信用取引開始基準が不十分で適合性の原則を保障するものではないと主張するが、被告の開始基準と離れても原告に対して信用取引を開始させたことが適合性の原則に反するものでないことは右にみたとおりである。

更に、原告は、本件の信用取引の取引高は、原告の投資目的、財産状態に比して過大であり、取引の態様も適合性の原則に違反するものであったとの趣旨も主張するが、前記認定のとおり、乙田は、個々の取引について甲野の承認を得て行っており、甲野は、その資質及び経験からみて、信用取引にはリスクが伴うものであることを十分認識していたと推認することができる(原告が信用取引によって一定の利益を得た時期もあったことは、取引経過記録の記載からも明らかである。)。原告が、取引によって利益を得ることができる反面そのリスクを負担するものであることは当然というべきであるから、信用取引の取引高のみをとらえて、適合性の原則に反するということは適当でない。

(三) したがって、被告の行為が信用取引における適合性の原則に反するという原告の主張は、採用することができない。

2  担保を仮装した信用取引

(一) 原告は、資金の裏付けのない小切手を見せかけの保証金として信用取引を行うことは、委託保証金の制度を設けている証券取引法四九条に違反すると主張する。

(二) しかし、前記認定のとおり、被告に対する原告振出小切手による信用保証金の差入れは、乙田の発案によるものではなく、取引銀行からの協力依頼を受けてこれに応じた甲野からの申入れに基づいて開始されたものであるから、たとえ、これが、実質的にみて取引口座に委託保証金の預託がされていないことになり、信用取引としては不適当であって是正すべきものであるとしても、それを申し出た原告が非難すべきことではないから、原告の主張は、その前提事実を欠くものというべきであって、採用することができない。

3  原告の意思に基づかない信用取引

(一) 原告は、昭和六三年七月二〇日から同年九月六日までの間の信用取引は、信用取引約諾書の提出のないまま行われたものであり、原告の意思に基づかないものであるから無効であると主張する。

(二) しかし、原告から信用取引約諾書の提出が遅れた経緯は前記のとおりであって、甲野が即日提出すべきであるのにこれを失念していたに過ぎず、原告名義で信用取引を開始すること自体は甲野は十分に承認をしていたと認めることができる。

したがって、信用取引約諾書が提出されていないことは、乙田の行った信用取引が原告の意思に基づかないものであることを意味するものではないから、原告の右主張も採用することができない。

4  本件取引全体の過当取引性

(一) 一般に、株式投資者は、専門家である証券会社ないしその担当者からの勧誘ないし助言・指導に影響を受けやすく、他方、証券会社は、その取引頻度や取引数量が多ければ多いほど収益が大きくなる関係にあるのが実情であるから、顧客を過当な取引に誘う危険が内在していることを否定することができない。

したがって、証券会社が、顧客の取引口座について支配を及ぼし、顧客の信頼を濫用して、手数料稼ぎ等の自己の利益をはかるために、顧客の投資目的、財産状態や投資経験等に鑑みて社会的相当性を逸脱した過当な頻度・数量の取引を勧誘することは、顧客に対する誠実義務に違反する行為として違法と評価されるというべきである。

(二) そこで、本件において、被告担当者の行った証券取引の態様が、原告の投資目的、財産状態及び投資経験等に照らして社会的相当性を逸脱した過当な頻度・数量の取引であったか否かについて検討する。

前記認定のとおり、甲山ないし乙田は、全て事前に甲野の承認を得た上で証券の買付及び売付を実行している。そして、乙田らが、原告に損害を被らせることを予想しながら、あるいは予想し得たにもかかわらず、被告の手数料収入をあげる目的で原告に対して敢えて過当な頻度・数量の取引勧誘を行ったというような事実は認められない。

また、前記認定事実に本件取引の経過、弁論の全趣旨を加えて考察すると、本件取引は開始後相当期間は、株価等の値上がりにより一定の利益を生じ、あるいは値下がりによりある程度の損失を発生させてはいたが、基本的には経済状況に応じた伸びをみせていたところ、平成二年以降のいわゆるバブル経済の崩壊により、平成元年以前に買い付けた株式(特に東急電鉄株)の価格が急激に下落して多額の損失を発生させた上、右損失を埋めようとして平成二年五月に買い付けた株式の株価がその後下落し、更に損失を拡大させたことにあること及び平成二年以降の株価の低落傾向についてその当時的確な予想をすることは、専門家においても困難であったことがそれぞれ認められる。

これらの事情を総合すれば、乙田らの行った証券取引の態様が、前記のような原告の投資目的、財産状態及び投資経験等に照らして社会的相当性を逸脱した過当な頻度・数量の取引であったと断定することはできないというべきである。

本件取引に関する紛争の結果成立した了解の趣旨も前記認定のとおりであって、右了解が成立したからといって、本件取引が過当取引として違法性を有するということもできない。

(三) そうすると、本件取引が過当取引であるという原告の主張は、採用することができない。

第四  結論

以上のとおりであって、原告の主張はいずれも採用できず、原告の請求は、理由がないので棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 田中壯太 裁判官 土谷裕子 栩木純一)

(別紙)別表(一)〈略〉

別表(二)〈略〉

別表(三)〈略〉

別表(四)〈略〉

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